戦国時代の日本に、これまで全く知られていなかったヨーロッパの人々がやってきました。
彼らがもたらした「鉄砲」と「キリスト教」は、日本の社会や文化、そして戦乱の時代の行方に、非常に大きな影響を与えることになります。
1543年、中国の船に乗ったポルトガル人が、嵐で日本の種子島(たねがしま)(現在の鹿児島県)に漂着しました。
この時、彼らが持っていた火縄銃(ひなわじゅう)、つまり鉄砲が日本に初めて伝わりました。
種子島の領主であった種子島時堯(ときたか)は、その威力に驚き、高値で2丁を購入しました。
そして、日本の刀鍛冶(かたなかじ)の技術を応用して、わずか1年ほどで鉄砲の国産化に成功します。
その後、鉄砲は和泉の堺(大阪府)や近江の国友(滋賀県)などで大量生産されるようになり、急速に全国へ広まっていきました。
戦い方の変化: これまでの戦いの主役は、馬に乗った武士の一騎打ちでした。
しかし、訓練すれば足軽(身分の低い兵士)でも簡単に武士を倒せる鉄砲の登場により、足軽による鉄砲隊の集団戦法が主流になりました。
城の構造の変化: 鉄砲の攻撃に耐えられるよう、城は土の砦から頑丈な石垣で囲み、天守閣(てんしゅかく)を持つ、より防御力の高いものへと変化していきました。
織田信長が長篠の戦いで、大量の鉄砲を使って武田軍の騎馬隊を破った話は、鉄砲が戦いの勝敗を決めるようになった象徴的な出来事です。
鉄砲伝来から6年後、日本に新しい宗教と思想がもたらされます。
1549年、イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが、鹿児島に上陸し、日本で初めてキリスト教を伝えました。
南蛮貿易との結びつき: 戦国大名たちは、キリスト教の布教を許可する見返りに、ポルトガルやスペインとの南蛮貿易で利益(特に鉄砲や火薬)を得ようとしました。
保護した大名: 織田信長は、仏教勢力に対抗させるため、キリスト教を保護しました。
また、九州地方などでは、大名自らが信者となるキリシタン大名(大村純忠、大友宗麟など)も現れました。
社会事業: 宣教師たちは、学校や病院、孤児院などを建て、貧しい人々を助ける活動も行ったため、庶民の間にも信者が増えていきました。
ポルトガル人やスペイン人は、当時「南蛮人(なんばんじん)」と呼ばれていたため、彼らとの貿易を南蛮貿易、彼らがもたらした文化を南蛮文化と呼びます。
| 日本の輸出品 | 日本への輸入品 |
|---|---|
| 銀(当時、日本は世界有数の銀の産出国でした)、刀剣、漆器など | 鉄砲、火薬、生糸、絹織物、ガラス製品、時計、眼鏡など |
ヨーロッパの文化は、日本の様々な分野に影響を与えました。
言葉: パン、カステラ、タバコ、ボタン、カルタ、カッパなど、ポルトガル語やスペイン語が語源の言葉が今も残っています。
学問: 天文学や医学、地理学、活版印刷術などが伝わりました。
芸術: 南蛮人や南蛮船を描いた「南蛮屏風」などが作られました。
ヨーロッパ人との出会いは、日本の戦国時代に劇的な変化をもたらしました。
鉄砲は戦いの形勢を大きく変え、天下統一の動きを加速させました。
一方、キリスト教と南蛮文化は、日本の人々の価値観や生活、文化に新しい風を吹き込み、その後の日本の歴史に深く関わっていくことになります。