紀元前4世紀頃、大陸(朝鮮半島経由)から、日本の社会を根底から変える2つの新しい技術が伝わりました。
これが弥生時代の幕開けです。
水田で米を育てる技術が伝わりました。
これは、縄文時代の狩猟・採集(自然から食料を"獲る")から、弥生時代の農耕(自分たちで食料を"生産する")への大転換を意味します。
人々は、計画的に食料を生産し、蓄える(貯蔵する)ことができるようになりました。
青銅器(せいどうき)と鉄器(てっき)という2種類の金属器が、ほぼ同時期に伝わりました。
青銅器: 銅と錫(すず)の合金。
主に祭りの道具(祭器)や、有力者の宝物として使われました。
(例:銅鐸(どうたく)、銅鏡(どうきょう)、銅剣(どうけん))
鉄器: 青銅器より硬く、丈夫。
主に武器や、農具(鋤(すき)や鍬(くわ)の先)、工具として、実用的に使われました。
鉄製の農具の普及は、農作業の効率を大きく向上させました。
稲作の始まりは、人々の生活のすべてを変えました。
米を収穫するための石包丁(いしぼうちょう)。
米をたくわえるための高床倉庫(たかゆかそうこ)。
湿気やネズミの害を防ぐ工夫がされていました。
米を炊いたり、貯蔵したりするための弥生土器(やよいどき)。
縄文土器より薄手で硬く、シンプルなデザインが特徴です。
稲作には一年を通した水の管理などが必要なため、人々は水田の近くに定住するようになります。
竪穴住居に住み、ムラ(集落)を形成するのは縄文時代と同じですが、稲作によって人口が増え、ムラの規模は大きくなっていきました。
有名な遺跡に、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)や、静岡県の登呂遺跡(とろいせき)があります。
稲作は人々の暮らしを豊かにしましたが、同時に「争い」を生み出す原因にもなりました。
稲作がうまくいき、多くの米を収穫できるムラと、そうでないムラが出てきます。
米を蓄えることができるようになると(余剰生産物)、それを多く持つ者(富める者)と、持たない者(貧しい者)という貧富の差が生まれます。
やがて、ムラをまとめる指導者(首長)と、それに従う人々という身分の差が生まれていきました。
より良い水田や、収穫した米をめぐって、ムラとムラの間で争い(戦争)が起こるようになります。
吉野ヶ里遺跡などでは、ムラの周りに敵の侵入を防ぐための深い環濠(かんごう)や、見張り台(物見やぐら)が作られており、争いが日常的にあったことがうかがえます。
争いに勝ったムラは、負けたムラを従えるようになります。
こうして、いくつかのムラが連合して、より大きな政治的なまとまりである「クニ」が形成されていきました。
弥生時代の終わり頃(1世紀頃)、日本には100余りの小さなクニがあったと、中国の歴史書『漢書』地理志に記されています。
| 縄文時代 | 弥生時代 | |
|---|---|---|
| 食料 | 狩猟・採集 | 稲作(農耕) |
| 道具 | 縄文土器、打製・磨製石器 | 弥生土器、金属器(鉄器・青銅器) |
| 住居 | 竪穴住居 | 竪穴住居、高床倉庫 |
| 社会 | 比較的平等な社会 | 貧富・身分の差が発生、争いが始まる |
| 集団 | ムラ | ムラ → クニ |
弥生時代は、稲作という新しい技術が、人々の暮らしを豊かにすると同時に、貧富の差や争いを生み出し、社会の仕組みを「ムラ」から「クニ」へと大きく変えていった、まさに日本の社会の原点が形作られた時代と言うことができます。