一言でいうと、「大正時代に高まった、民主主義や自由主義を求める一連の社会的な動き」のことです。
「デモクラシー」とは、日本語で「民主主義」のこと。
つまり、一部の特権階級だけでなく、一般の人々(民衆)が政治や社会の主役になるべきだ、という考え方です。
第一次世界大戦後の世界の動き: 第一次世界大戦後、世界的に民主主義を求める声が高まり、ドイツやロシアなどでは皇帝や王様が支配する国が倒れました。
この国際的な流れが日本にも影響を与えました。
国内の社会の変化:
教育の普及: 小学校教育が普及し、多くの人々が新聞や雑誌を読んで知識を得られるようになりました。
都市化と工業化: 大戦景気などを背景に、都市で働くサラリーマンや工場労働者が増え、彼らが自分たちの権利を主張するようになりました。
吉野作造(よしの さくぞう)が唱えた「民本主義(みんぽんしゅぎ)」
「国の主権が誰にあるか(天皇か国民か)を議論するのではなく、政治の目的は民衆のためにあるべきで、その決定は民衆の意向に従うべきだ」という考え方です。
この考えは、当時の人々に広く受け入れられ、デモクラシー運動の理論的な支えとなりました。
このデモクラシーを求める声は、様々な形で社会に現れました。
明治憲法にもとづく議会政治を守り、一部の藩閥や軍部が政治を動かすことに反対する運動です。
第一次護憲運動: 「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに、長州藩出身の桂太郎内閣を、わずか50日あまりで退陣に追い込みました(大正政変)。
この護憲運動の高まりを受け、原敬(はら たかし)を首相とする、日本で最初の本格的な政党内閣が成立しました。
原内閣は、陸軍・海軍・外務の大臣以外は、すべて衆議院の第一党である立憲政友会の党員で組織されました。
原敬が、華族ではない衆議院議員(平民)だったことから、「平民宰相」と呼ばれ、国民に広く歓迎されました。
労働運動: 労働者が、労働条件の改善を求めて労働組合を作り、ストライキなどの労働争議を行うようになりました。
農民運動: 地主に対して小作料の引き下げなどを求める小作争議が起こりました。
女性解放運動: 平塚らいてうらが「青鞜社(せいとうしゃ)」を作り、女性の地位向上や権利を主張しました。
部落解放運動: 差別からの解放を求め、全国水平社が結成されました。
これらのデモクラシーを求める運動の中で、最も大きな目標とされたのが普通選挙の実現でした。
それまでの選挙は、一定額以上の税金を納めた男性にしか選挙権がありませんでした(制限選挙)。
これに対し、「財産や身分に関係なく、すべての成人の国民が選挙権を持つべきだ」というのが普通選挙の考え方です。
誰が?: 護憲三派(立憲政友会、憲政会、革新倶楽部)が協力して成立させた加藤高明(かとう たかあき)内閣の時に実現しました。
内容:
これまであった納税額による制限を撤廃しました。
満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。
結果:
この法律によって、有権者の数はそれまでの約330万人から、約1240万人へと約4倍に増えました。
これにより、国民の幅広い声を政治に反映させる道が開かれ、日本の政党政治は一つの頂点を迎えました。
しかし、政府は普通選挙法と同じ年に、もう一つの重要な法律を成立させました。
それが治安維持法です。
内容: 国の体制(天皇制)や私有財産制度を否定する社会主義・共産主義の運動を厳しく取り締まるための法律です。
ねらい: 政府は、普通選挙によって労働者や農民が政治的な力を持ち、社会主義が広まることを恐れました。
そのため、国民に選挙権という「アメ」を与える一方で、危険な思想を取り締まる「ムチ」として、この法律を用意したのです。
この法律は、後に政府に批判的な人々を弾圧する道具として広く使われるようになり、国民の自由を奪っていくことになります。
このように、大正デモクラシーは日本の民主主義を大きく前進させましたが、同時にその動きを抑え込もうとする力も働いていた、光と影の両面を持つ時代だったのです。