大和政権が積極的に朝鮮半島や中国と関わろうとしたのには、主に2つの大きな目的がありました。
当時の東アジアで最も進んだ文明を持ち、最も権威があったのは中国の皇帝でした。
大和政権の大王は、中国の皇帝に貢物を送り、皇帝から「お前を日本の王として認める」というお墨付きをもらうことで、自らの権威を高めようとしました。
この国際的な権威を背景に、国内の他の豪族たちに対して優位に立ち、また朝鮮半島での影響力を強めようとしたのです。
当時の日本にとって、朝鮮半島や中国大陸は、あらゆる先進技術・文化のお手本でした。
より硬くて丈夫な鉄製品を作る技術、美しい土器(須恵器)を作る技術、文字(漢字)や、後には仏教など、国の発展に不可欠なものを手に入れることが、もう一つの大きな目的でした。
特に、武器や農具の材料となる鉄資源は、朝鮮半島南部の伽耶地方などで産出されたため、この地域との関係は非常に重要でした。
5世紀頃、中国は南北に分裂していました(南北朝時代)。
中国の歴史書『宋書』倭国伝によると、5世紀に倭の国の五人の王(讃・珍・済・興・武)が、相次いで中国の南朝(宋)に使いを送った(遣使した)ことが記録されています。
この「倭の五王」は、大和政権の大王たち(允恭天皇や雄略天皇などに当てはまると考えられている)のことです。
彼らは、中国の皇帝に貢物を送り、朝鮮半島南部での軍事的な指導権などを認めてもらうための称号を求めました。
この記録は、大和政権が日本列島を代表する統一政権として、東アジア世界の中で外交活動を行っていたことを示す、貴重な証拠です。
古墳時代の朝鮮半島は、北の高句麗(こうくり)、南西の百済(くだら)、南東の新羅(しらぎ)の三国が激しく争っていました(三国時代)。
大和政権は、この国際情勢に深く関わっていきます。
大和政権は、主に百済と友好関係を結び、高句麗や新羅と戦いました。
朝鮮半島南部にあった伽耶(かや)地方(日本書紀では「任那(みまな)」と呼ばれる)は、良質な鉄資源の産地でした。
大和政権は、この鉄資源を確保するため、伽耶地方に軍隊を送るなど、大きな影響力を持とうとしました。
こうした朝鮮半島との交流が活発になる中で、多くの人々が朝鮮半島から日本列島へ移り住んできました。
彼らのことを「渡来人」と呼びます。
渡来人たちは、それまでの日本にはなかった、大陸の高度な技術や文化を伝え、大和政権の発展を大きく支えました。
須恵器(すえき): 窯(かま)を使い、高温で焼いた硬く灰色の土器。
漢字(文字): 本格的に文字を使う文化が始まりました。
これにより、役人が記録をつけたり、外交文書を作成したりできるようになりました。
仏教: 6世紀に百済から伝わった仏教は、後の飛鳥文化の中心となります。
その他、機織り(はたおり)、金属の加工、土木技術など、多岐にわたりました。
渡来人やその子孫たちは、大和政権の中で、外交や財政などを担当する役人(書記官など)として重要な役割を担うようになります。
大和政権は、権威の獲得と先進技術の導入を目的として、中国や朝鮮半島と活発に交流しました。
中国へは「倭の五王」が使いを送り、国際的な地位を認めさせようとしました。
朝鮮半島では、百済と結び、高句麗や新羅と争い、鉄資源を求めて伽耶地方へ進出しました。
この交流を通じて、多くの渡来人が日本へやって来て、漢字や須恵器、後の仏教といった大陸の進んだ技術・文化を伝え、日本の古代国家形成に不可欠な役割を果たしたのです。