江戸時代の社会は、大きく「武士」と「百姓・町人」に分けられていました。
これをさらに職業などで細かく分けたのが「士農工商(しのうこうしょう)」という考え方です。
支配階級で、政治を行う役割を担っていました。
苗字(みょうじ)を名乗ったり、刀を差したりすることが許されるなどの特権を持っていました。
人口の約7%ほどでした。
人口の約85%を占め、米や野菜などを作って年貢(税)を納める、社会を支える最も重要な身分とされていました。
道具や工芸品など、ものづくりをする人々です。
商品を売り買いして、物の流通を担う人々です。
百姓、職人、商人を合わせて「町人」と呼ぶこともあります。
江戸幕府は、豊臣秀吉が行った「刀狩」や「検地」を引き継ぎ、武士とそれ以外の人々の身分をはっきりと分けました(兵農分離)。
そして、人々を職業や住む場所によって固定することで、社会の秩序を安定させ、支配しやすくする目的がありました。
基本的に、生まれた家の身分を一生受け継ぐこととされていました。
以前は「武士を頂点に、農・工・商という厳しい上下の順番があった」と教えられてきました。
しかし、最近の研究では、この考え方は少し違うということが分かってきています。
武士が特別な特権を持つ支配者であったことは間違いありません。
百姓・職人・商人の間には、はっきりとした身分の上下関係はなく、主に職業や住んでいる場所による区別だったと考えられています。
「農」が先に書かれるのは、幕府にとって年貢を納める百姓が重要だったためです。
現在の教科書では、「士農工商」という言葉を使いつつも、厳しい上下関係があったという表現は避けられる傾向にあります。
江戸時代には、士農工商のいずれにも含まれない人々もいました。
政治的な実権は幕府が握っていましたが、天皇や公家(朝廷に仕える貴族)、そして僧侶や神職などは、武士とは異なる特別な立場にありました。
武士・百姓・町人とは別に、「えた」「ひにん」と呼ばれる身分の人々がいました。
彼らは、住む場所や職業、服装などが厳しく制限され、結婚も同じ身分の人々としか認められないなど、社会の中で厳しい差別に苦しみました。
このように、江戸時代の身分制度は、社会の安定を目的として作られましたが、その一方で人々を固定化し、不合理な差別を生む側面も持っていました。