まず、世界全体を襲った大不況についてです。
1929年10月24日(暗黒の木曜日)
アメリカのニューヨークにあるウォール街の株式市場。
株価が突如として大暴落しました。
第一次世界大戦後、アメリカは「永遠の繁栄」と呼ばれるほどの好景気に沸いていました。
しかし、実際には、生産された商品が売れ残り始めるなど、経済の内部は不安定になっていました。
株価の大暴落で、多くの会社や銀行が倒産し、大量の失業者が生まれました。
アメリカは、世界経済の中心だったため、この不景気(恐慌)は、あっという間に世界中に広がりました。
この世界的な大不況に対し、各国は自分の国を守るために、それぞれ異なる対策をとりました。
ルーズベルト大統領が、ダムなどの大規模な公共事業を起こして失業者を救済し、経済の立て直しを図りました。
広大な植民地を持つイギリスやフランスは、自分の国と植民地だけで貿易のブロックを作りました。
ブロック内の国々とは関税をかけずに貿易し、ブロックの外の国々からの輸入品には高い関税をかけることで、他国の商品を締め出しました(保護貿易)。
日本は、アメリカやイギリス・フランスのように、自力で経済を立て直す資源や、高い関税を乗り越えて商品を売れるような広大な植民地を持っていませんでした。
輸出の激減: 日本の主要な輸出品であった生糸の最大の得意先はアメリカでした。
そのアメリカが不景気になったため、生糸が全く売れなくなりました。
昭和恐慌: 世界恐慌の影響はすぐに日本にも及び、多くの会社が倒産し、街には失業者があふれました。
これを特に昭和恐慌といいます。
農村の深刻な不況: 生糸の価格が暴落したことで、副業として蚕(かいこ)を育てていた農家は大きな打撃を受けました。
さらに、米の価格も下落し、娘を身売りしたり、食事を抜いたりするほどの深刻な不況(農業恐慌)に陥りました。
ブロック経済によって世界市場から締め出され、国内経済が破綻寸前になった日本。
この危機をどう乗り越えるか。
その答えとして、軍部や政府の一部が考えたのが、「日本も、自前の経済圏(ブロック)を力ずくで手に入れればよい」という道でした。
そのターゲットとされたのが、鉄鉱石や石炭などの資源が豊富で、日本の製品を売る市場としても期待できる、中国の東北部「満州」でした。
何が起こった?:
満州に駐留していた日本の軍隊(関東軍)が、自ら南満州鉄道の線路を爆破しました。
そして、これを「中国軍のしわざだ」と偽って、軍事行動を開始し、あっという間に満州全土を占領しました。
関東軍は、占領した満州に、清の最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を元首とする、満州国という国を建国しました。
しかし、これは日本のかいらい国家(思い通りに操るための国)であり、実権はすべて関東軍が握っていました。
日本のこの強引な行動に対し、国際社会は厳しい目を向けました。
国際連盟は、調査団(リットン調査団)を現地に派遣し、調査の結果、「満州事変は日本の侵略行為であり、満州国は日本の作った国だから独立国とは認められない」と報告しました。
国際連盟の総会で、この報告書にもとづく勧告案が採決にかけられ、賛成42、反対1(日本)、棄権1で可決されました。
これに不満を持った日本の代表・松岡洋右(まつおか ようすけ)は、その場で総会からの退場を宣言。
そして、日本は国際連盟を脱退しました。
この脱退により、日本は国際社会で孤立を深め、自分たちの行動を正当化するために、ドイツやイタリアといった、同じように国際社会に不満を持つ国々(ファシズム国家)に接近していくことになります。
このように、世界恐慌は日本の経済を破壊しただけでなく、日本の進路を大きく変え、軍部主導による侵略と、世界からの孤立へと向かわせる直接的な原因となったのです。