戦乱がなくなったことで、人々は安心して生産活動に励むことができるようになり、農業や手工業が大きく発展しました。
幕府や藩が積極的に新田開発を進めたことで、耕地面積が大幅に増えました。
▪ 備中ぐわ(びっちゅうぐわ): それまでの鍬よりも深く耕せるようになり、作業効率が上がりました。
▪ 千歯こき(せんばこき): 脱穀(稲穂から籾を外す作業)の効率が劇的に向上しました。
干鰯(ほしか)や油かすなど、お金で買う肥料(金肥(きんぴ))が使われるようになり、米の収穫量が大きく増えました。
年貢として納める米だけでなく、売ってお金にするための商品作物の栽培が各地で盛んになりました。
これらは各地の特産品となっていきました。
例: 綿花(畿内)、菜種(なたね、大坂周辺)、藍(あい、阿波)、紅花(べにばな、出羽)など
各地で特産品が作られるようになると、それを加工する手工業も発達しました。
▪ 問屋制家内工業: 問屋(とんや)と呼ばれる商人が、農家などに道具や原料を前貸しして製品を作らせ、それを安く買い集める仕組みです。
▪ 工場制手工業(マニュファクチュア): 後期になると、作業場(工場)に職人を集め、分業して製品を大量生産する仕組みも現れました。
▪ 江戸: 「将軍のおひざもと」と呼ばれ、全国の大名や武士が集まる日本最大の消費都市として発展しました。
▪ 大坂: 「天下の台所」と呼ばれ、全国の米や特産物が集まる商業の中心地でした。各藩は蔵屋敷(くらやしき)を置き、年貢米などを販売していました。
▪ 京都: 天皇のいる都として、伝統的な織物(西陣織など)や工芸品などの手工業が盛んでした。
産業が発達し、モノや人の移動が活発になると、交通網の整備が必要になりました。
幕府は全国支配を固めるためにも、道路や海のルートを整備しました。
幕府は、江戸の日本橋を起点として、全国の主要な都市を結ぶ5つの主要な街道を整備しました。
これを五街道(ごかいどう)といいます。
● 東海道(とうかいどう): 江戸と京都を結ぶ最も重要な道
● 中山道(なかせんどう): 江戸と京都を内陸経由で結ぶ道
● 日光街道(にっこうかいどう): 江戸と徳川家康をまつる日光東照宮を結ぶ道
● 奥州街道(おうしゅうかいどう): 江戸と東北地方を結ぶ道
● 甲州街道(こうしゅうかいどう): 江戸と甲府(山梨)を結ぶ道
これらの街道には、次のようなものが整備されました。
● 宿場(宿駅): 旅人が泊まったり、休憩したりする場所として、一定の間隔で宿場町が置かれました。
● 一里塚: 道のりがわかるように、一里(約4km)ごとに塚が築かれました。
● 関所: 「入り鉄砲に出女」を取り締まるなど、軍事・警察的な目的で重要な地点に置かれました。
重い荷物を大量に運ぶには、船を使った海上交通が便利でした。
江戸と大坂という二大都市を結ぶため、菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)といった船が活躍し、日本海側を通る「西廻り航路」と太平洋側を通る「東廻り航路」が開発されました。
これにより、東北地方の米などが効率よく江戸や大坂に運ばれるようになりました。
日本海側を航行し、北海道(蝦夷地)の昆布やニシンなどを、本州の各地で売り買いしながら往復しました。
このように、産業が発達し、陸と海の交通網が整備されたことで、全国のモノの流れがスムーズになり、日本全体の経済が一体化していったのです。