日本の状況: 1945年の敗戦後、日本はアメリカを中心とする連合国軍(GHQ)の占領下にありました。
つまり、日本は独立国ではなく、政治も外交もGHQの管理下に置かれていました。
世界の状況(冷戦の始まり):
第二次世界大戦が終わると、世界の国々は、アメリカを中心とする資本主義・自由主義の国々(西側陣営)と、ソ連を中心とする社会主義・共産主義の国々(東側陣営)の二つに分かれて、激しく対立するようになりました。
これを冷戦といいます。
特に、アジアでは朝鮮戦争(1950年〜)が勃発し、冷戦が実際の戦争に発展する危機が高まっていました。
この冷戦の激化を受けて、アメリカは対日政策を大きく転換します。
(占領当初)日本を徹底的に弱体化させ、二度と戦争できないようにする。
(冷戦激化後)日本を西側陣営の重要な一員として独立させ、アジアにおける共産主義の拡大を防ぐための拠点(基地)にしたい。
このアメリカの方針のもと、日本の独立に向けた講和会議が開かれることになりました。
一言でいうと、「日本が第二次世界大戦の戦争状態を正式に終わらせ、独立国として国際社会に復帰するための条約」です。
1951年9月、アメリカのサンフランシスコで開かれた講和会議で。
日本と、アメリカやイギリス、フランスなど48か国が署名しました。
【重要な点】: ソ連などの東側陣営の国々は、条約の内容に反対して署名を拒否しました。
また、中国は、どの政府を代表とするかで対立があったため、会議に招かれませんでした。
このため、この条約は、西側陣営の国々との間だけで結ばれた「片面講和」となりました。
吉田茂(よしだ しげる)首相
日本の独立の承認: この条約の発効(1952年4月)をもって、連合国による日本の占領は終わり、日本は主権を回復(独立)しました。
領土の放棄: 朝鮮の独立を承認し、台湾、南樺太、千島列島などの領土を放棄することを正式に認めました。
一言でいうと、「日本が独立した後も、引き続きアメリカ軍が日本国内に駐留(基地を置くこと)を認めるための条約」です。
サンフランシスコ平和条約が署名された同じ日に、同じサンフランシスコで。
日本とアメリカの2国間だけで結ばれました。
日本側の事情:
平和憲法のもとで、日本は本格的な軍隊を持っていませんでした。
独立しても、もしソ連などの東側陣営から攻撃されたら、自国を守る力がありませんでした。
そこで、吉田茂首相は、日本の安全を守るために、アメリカ軍に日本を守ってもらう必要があると考えました。
アメリカ側の事情:
冷戦下で、共産主義勢力に対抗するため、日本をアジアにおける重要な軍事拠点として維持し続けたいと考えていました。
日本の独立後も、アメリカ軍が引き続き日本の基地を使用することを認めました。
この条約は、主にアメリカ軍の駐留を認めるもので、アメリカが日本を守る義務は、まだ明確には書かれていませんでした。
(この点は1960年の新条約で改定されます)
| 条約名 | サンフランシスコ平和条約 | 日米安全保障条約 |
|---|---|---|
| 目的 | 日本の独立と国際社会への復帰 | 独立後の日本の安全保障 |
| 相手国 | 48か国(多数講和) | アメリカのみ(二国間) |
| 内容 | ・主権の回復 ・領土の放棄 |
独立後のアメリカ軍の日本駐留を認める |
この二つの条約が同じ日に結ばれたことが非常に重要です。
これは、日本の戦後のあり方が、「西側陣営の一員として独立し、アメリカの軍事的な保護のもとで国の安全を確保する」という形で出発したことを象徴しています。
この「吉田ドクトリン」とも呼ばれる選択が、その後の日本の外交と防衛の基本路線となっていくのです。