一言でいうと、「アメリカを中心とする西側陣営と、ソ連を中心とする東側陣営とが、直接火を交えて戦うことはないものの、世界中で激しく対立し、にらみ合った状態」のことです。
アメリカとソ連の軍隊が直接戦うような「熱い戦争(Hot War)」にはならなかったからです。
しかし、お互いに相手を倒すことができる強力な核兵器を持っていたため、もし直接戦争になれば世界が破滅してしまうという恐怖の中で、政治・経済・軍事・宇宙開発など、あらゆる分野で激しい競争と対立が続きました。
第二次世界大戦中、アメリカとソ連は、ドイツや日本という共通の敵を倒すために協力していました。
しかし、戦争が終わると、両国の根本的な「考え方(イデオロギー)」と「社会の仕組み」の違いが、深刻な対立を生み出しました。
| リーダー | アメリカ合衆国 |
| 考え方 | 資本主義・自由主義 |
| 政治 | 国民が選挙で代表を選ぶ民主主義。 個人の自由や人権を重視する。 |
| 経済 | 会社などが自由に競争して利益を上げる資本主義。 |
| 主な仲間 | イギリス、フランス、西ドイツ、日本など。 |
| 軍事同盟 | 北大西洋条約機構(NATO) |
| 経済支援 | マーシャル=プラン(ヨーロッパの復興を支援) |
| リーダー | ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連) |
| 考え方 | 社会主義・共産主義 |
| 政治 | 共産党による一党独裁。 個人の自由よりも、国家や党の統制を重視する。 |
| 経済 | 国が生産手段を持ち、計画的に経済を運営する社会主義。 |
| 主な仲間 | 東ドイツ、ポーランド、中国、北朝鮮など。 |
| 軍事同盟 | ワルシャワ条約機構 |
| 経済協力 | コメコン(経済相互援助会議) |
この二つの陣営は、お互いの考え方を「絶対に受け入れられない、間違ったもの」と考え、世界中の国々を自分たちの仲間に引き入れようと、激しく争ったのです。
冷戦は、世界各地で様々な緊張や対立を引き起こしました。
イギリスの元首相チャーチルが、「ヨーロッパには鉄のカーテンが下ろされた」と演説したように、ヨーロッパは西側と東側に真っ二つに分断されました。
特にドイツは、西側の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と、東側の東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分裂。
首都ベルリンも、西ベルリンと東ベルリンに分けられ、1961年には東ドイツがベルリンの壁を建設し、人々が自由に行き来できないようにしました。
アメリカとソ連は直接戦いませんでしたが、アジアやアフリカなどで、それぞれの陣営が支援する国同士が戦う「代理戦争」が頻繁に起こりました。
朝鮮戦争(1950年〜): 北朝鮮(東側) vs 韓国(西側)
ベトナム戦争(1960年〜): 北ベトナム(東側) vs 南ベトナム(西側)
ソ連が、アメリカのすぐ近くにあるキューバに核ミサイル基地を建設しようとしたことで、米ソの核戦争の危機が目前まで迫りました。
世界中が息をのんで見守る中、両国の首脳が話し合い、ギリギリのところで戦争は回避されました。
この事件は、冷戦の中で最も危険な瞬間でした。
米ソは、国の威信をかけて宇宙開発でも激しく競争しました。
ソ連が世界初の人工衛星や有人宇宙飛行を成功させると、アメリカはアポロ計画で人類初の月面着陸を成功させました。
1980年代後半、計画経済に行き詰まり、経済が停滞していたソ連にゴルバチョフ書記長が登場し、国内の改革(ペレストロイカ)を進めるとともに、アメリカとの対話路線に転じました。
マルタ会談(1989年): アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が会談し、冷戦の終結を宣言しました。
ベルリンの壁崩壊(1989年): 東西分断の象徴だったベルリンの壁が、市民の手によって壊されました。
ソ連の解体(1991年): 東ヨーロッパの社会主義国が次々と民主化し、最終的にソ連自身も解体。
これにより、40年以上続いた冷戦は完全に終わりを告げました。