昭和時代:ポツダム宣言受諾と日本の敗戦

 

 

1. 敗戦が濃厚になる戦局の悪化

1941年に始まった太平洋戦争ですが、開戦から約半年後の1942年、ミッドウェー海戦で日本がアメリカに大敗したことをきっかけに、日本の戦況は悪化の一途をたどります。

サイパン島の陥落(1944年):

日本の重要な防衛拠点であったサイパン島がアメリカ軍に占領されました。

これにより、アメリカの大型爆撃機B29が、サイパン島から直接日本の本土を空襲できるようになりました。

本土への空襲激化と国民生活の破壊:

1945年3月の東京大空襲をはじめ、全国の主要な都市が無差別爆撃を受け、多くの一般市民が犠牲になりました。

食料や物資も極度に不足し、国民の生活は破壊されました。

沖縄戦(1945年):

アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、日本で唯一の地上戦が行われました。

軍人だけでなく、多くの一般住民が戦闘に巻き込まれて亡くなるという、悲惨な戦いとなりました。

このように、日本の敗北は誰の目にも明らかになっていました。

 

2. ポツダム宣言の発出(1945年7月)

ヨーロッパでは、すでに1945年5月にドイツが降伏しており、連合国は残る日本に対して、戦争を終わらせるための降伏勧告を出しました。

これがポツダム宣言です。

誰が?:

アメリカ、イギリス、中国の首脳の名前で発表されました(後にソ連も参加)。

主な内容(要約):

日本軍の無条件降伏を求める。

軍国主義を完全に排除し、日本の軍隊を解散させる。

日本の領土は、本州・北海道・九州・四国と、連合国が定めた島々に限定する。

戦争犯罪人を処罰し、民主主義的な政府を樹立させる。

これらの条件が受け入れられない場合、日本は「迅速かつ完全な壊滅」あるのみ。

 

3. 日本の決断を迫った出来事

しかし、当時の日本の政府・軍部は、このポツダム宣言をすぐに受け入れる決断ができませんでした。

「国体(天皇制)は守られるのか」といった点をめぐり、意見がまとまらなかったのです。

政府が宣言を「黙殺」する態度をとっている間に、事態を決定づける悲劇が起こります。

広島への原子爆弾投下(1945年8月6日):

アメリカが、人類史上初めての原子爆弾を広島市に投下。

街は一瞬にして壊滅し、数えきれないほどの命が奪われました。

ソ連の参戦(1945年8月8日):

それまで中立の立場だったソ連が、日ソ中立条約を一方的に破って日本に宣戦布告。

満州や朝鮮半島北部に侵攻を開始しました。

日本は、ソ連に和平の仲介を期待していたため、これは最後の望みを断たれる出来事でした。

長崎への原子爆弾投下(1945年8月9日):

アメリカが、二発目の原子爆弾を長崎市に投下。

広島と同様に、甚大な被害が出ました。

 

4. ポツダム宣言の受諾と日本の敗戦

この絶望的な状況に至り、日本政府はようやく降伏を決断します。

御前会議での聖断(1945年8月14日):

天皇の前で開かれる最高会議(御前会議)でも、「降伏やむなし」とする意見と、「本土決戦で最後まで戦うべき」とする軍部の意見が対立し、結論が出ませんでした。

最終的に、昭和天皇が自ら「これ以上国民を苦しめることはできない」として、ポツダム宣言を受け入れることを決断しました(聖断)。

玉音放送(1945年8月15日):

8月15日の正午、昭和天皇が自らラジオ放送(玉音放送)で国民に終戦を告げました。

これにより、国民は日本の敗戦を初めて知りました。

降伏文書への調印(1945年9月2日):

東京湾上のアメリカの戦艦ミズーリ号で、日本政府の代表が降伏文書に調印しました。

これをもって、第二次世界大戦は完全に終わりを告げました。

この敗戦により、日本の軍国主義の時代は終わりを告げ、日本はアメリカを中心とする連合国の占領下で、民主的な国として生まれ変わる道を歩み始めることになります。

 

 

ポツダム宣言とは?

1945年7月26日、 ドイツのポツダムという都市で、アメリカ、イギリス、中国の3国の首脳の名前で発表されました。(後にソ連も参加)

目的::日本に対して、これ以上の無意味な戦争を終わらせるための最終的な降伏条件を突きつけ、それを受け入れるよう強く求めるため。

 

ポツダム宣言の主な内容(全13条の要約)

連合国が日本に求めた主な条件は、以下の通りです。

1. 日本軍の「無条件降伏」

日本の「軍隊」が、一切の条件をつけずに降伏することを求めました。

ポイント:これは、国や国民が奴隷になるという意味ではなく、あくまで軍隊の降伏を指していました。

2. 軍国主義の終わり

日本国民をだまし、世界征服へと導いた指導者たちの権力と影響力を、永久になくすこと。

日本から軍国主義(軍事力を最優先する考え方)を完全に排除することを求めました。

3. 日本の領土の限定

日本の主権が及ぶ範囲を、本州、北海道、九州、四国と、連合国が決定するいくつかの小さな島々に限定すると定めました。

これは、日本が戦争で獲得した植民地などをすべて放棄することを意味します。

4. 軍隊の解体と武装解除

日本の軍隊は完全に武装解除(武器を取り上げられること)され、兵士は家庭に帰ること。

5. 民主主義の確立と基本的人権の尊重

日本国内に、民主主義的な考え方を復活させ、強固なものにすること。

言論、宗教、思想の自由や、基本的人権の尊重を確立することを求めました。

ポイント:この項目は、戦後の日本国憲法の基本理念に大きな影響を与えました。

6. 戦争犯罪人の処罰

捕虜を虐待した者を含め、戦争を引き起こした責任のある戦争犯罪人を厳しく処罰すること。

7. 連合国による占領

これらの目的が達成されるまで、連合国が日本の領土の一部を占領すること。

8. 平和産業の維持

日本が戦争のための再軍備をしない範囲で、経済を支えるための産業を維持することは許可する。

将来的な世界貿易への参加も認めるとしました。

最後の警告

宣言の最後は、「我々は、日本国政府が全日本軍の無条件降伏を宣言することを要求する」と述べた上で、日本がこれを受け入れない場合は、「迅速かつ完全な壊滅あるのみ」という非常に厳しい言葉で締めくくられています。

 

この宣言の意義

ポツダム宣言は、単に戦争を終わらせるための降伏勧告であっただけでなく、戦後の日本の非軍事化と民主化という、新しい国づくりの基本方針を示すものでした。

当初、日本の政府はこの宣言を「黙殺」しましたが、二度の原子爆弾投下とソ連の参戦を経て、最終的に1945年8月14日に受け入れることを決定し、翌15日の玉音放送で国民に知らされました。

この宣言を受け入れたことが、日本の敗戦を意味したのです。

 

日本の領土として残された地域

ポツダム宣言が示した、日本の主権が及ぶ範囲です。

本土4島

本州、北海道、九州、四国

連合国が決定した「小さな島々」

宣言の時点では具体的な島の名前は挙げられていませんでした。

しかし、これは一般的に、佐渡島、淡路島、隠岐諸島、五島列島など、歴史的に本土と一体であった付属の島々を指すものと解釈されました。

【補足】沖縄・小笠原諸島の扱い

沖縄と小笠原諸島は、この宣言によって日本の領土であることは認められました。

しかし、戦後、日本本土と切り離され、アメリカの施政権下(統治下)に置かれました。

日本への復帰を求める強い運動の結果、小笠原諸島は1968年に、沖縄は1972年に日本へ返還されました。

 

日本が放棄した主な領土や植民地

これは、明治時代以降に日本が領土として拡大した地域のほぼ全てを指します。

放棄した地域 どのような場所だったか
朝鮮 1910年に併合した領土。
日本の敗戦により解放され、後に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立しました。
台湾・澎湖諸島 日清戦争(1895年)で清から譲り受けた植民地。
日本が放棄し、その後の地位は確定していない。(=一時的に中華民国が統治)
南樺太(サハリン南部) 日露戦争(1905年)でロシアから獲得した領土。
ソ連に引き渡されました。
千島列島 1875年の樺太・千島交換条約で日本領土となっていましたが、これを放棄。
ソ連に引き渡されました。
関東州(遼東半島南部) 日露戦争で得た、旅順・大連などの租借地。
中華民国に返還されました。
南洋諸島 第一次世界大戦後にドイツから得た委任統治領(マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島など)。
日本の統治は終わり、戦後はアメリカの信託統治領となりました。

【補足】北方領土問題について

日本政府は、ソ連(現在のロシア)に占領された北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)について、「これらは日本固有の領土であり、放棄を定めた千島列島には含まれない」として、現在もロシアに返還を求めています。

これが北方領土問題です。

 

まとめ

このように、ポツダム宣言の領土規定によって、日本は明治維新以降に獲得した海外の領土・植民地をすべて失い、その領土は江戸時代末期とほぼ同じ範囲に戻ることになりました。

この規定が、現在の日本の国境線の基礎となっています。

 

歴史
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