安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が天下統一を進めた、力強く活気に満ちた時代です。
この時代に花開いた文化を、秀吉が拠点とした京都の地名から「桃山文化」と呼びます。
この文化は、天下人となった大名や、南蛮貿易で富を蓄えた大商人たちが担い手となり、豪華で壮大、そして人間味あふれるという特徴を持っています。
戦国時代の城は、守りを固めるための「砦」でしたが、桃山文化の城は、天下人の権威と富を人々に示すための象徴へと大きく変わりました。
城の中心には、高くそびえ立つ天守閣が建てられました。
これは、城主の権力の象徴であり、遠くからでもその威容を誇示する役割がありました。
外観: 瓦には金箔が使われることもありました。
内装: 城内の部屋の襖(ふすま)や屏風(びょうぶ)には、金箔を背景に、虎や龍、鷹など力強い動物や、壮大な自然を描いた、色彩豊かな障壁画(しょうへきが)が描かれました。
安土城(織田信長): 豪華な天守閣を持つ最初の城といわれますが、本能寺の変の後に焼失しました。
大阪城・伏見城(豊臣秀吉): 秀吉の権力を象徴する巨大で豪華な城でした。
姫路城(ひめじじょう): 「白鷺城(しらさぎじょう)」とも呼ばれ、現存する最も美しい城郭建築として世界遺産にも登録されています。
城の内部を飾った豪華な障壁画を描いたのが、狩野派(かのうは)と呼ばれる絵師の集団です。
狩野派を代表する天才絵師です。
力強い筆遣いと壮大な構図で、信長や秀吉に重用されました。
代表作に『唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)』などがあります。
豪華で派手な文化が栄える一方で、静かで精神性を重んじる文化も大成されました。
その代表が「茶の湯」です。
信長と秀吉に仕えた茶人です。
彼は、東山文化で生まれた、簡素な道具を使い、静かな雰囲気の中で精神的な交流を深める「わび茶」を完成させました。
狭い茶室: 豪華な広間ではなく、「にじり口」から身をかがめて入るような、質素で小さな茶室を好みました。
簡素な茶道具: 華やかな唐物(中国からの輸入品)よりも、素朴で不完全な美しさを持つ国産の茶器(楽焼など)を重んじました。
茶の湯は、単にお茶を飲むだけでなく、大名たちが集まり、政治的な話し合いも行われる重要な社交の場でもありました。
秀吉は、京都の北野天満宮で「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」という大規模な茶会を開き、身分に関係なく参加を呼びかけたことでも知られています。
庶民の間からも、新しい文化が生まれてきました。
巫女(みこ)であった出雲の阿国(いずものおくに)が、京都で始めた斬新な踊りが人気を博しました。
これが後の歌舞伎の原型となります。
琉球(現在の沖縄)から伝わった三味線(しゃみせん)を伴奏に、物語を語りながら人形を操る芸能が人気となりました。
桃山文化は、天下統一という時代の大きなエネルギーを反映した、豪華で壮大な文化(城郭建築、狩野派の絵画)と、それとは対照的な、静かで精神性を重んじる「わび・さび」の文化(千利休による茶の湯の完成)という、二つの大きな流れが共存していた点に特徴があります。
この文化は、その後の江戸時代の文化にも大きな影響を与えていきました。