江戸幕府を倒した新しい明治政府が、日本を欧米列強に負けない近代的な国にするために行った一連の大改革を明治維新といいます。
その中でも、国の仕組みを根本から作り変えた「五箇条の御誓文」「版籍奉還」「廃藩置県」は、新しい国づくりの土台となった非常に重要な改革です。
この3つの流れを順に見ていきましょう。
戊辰戦争のさなか、明治天皇が神々に誓うという形で、新政府がこれから目指す国の基本方針を国内外に示しました。
これが五箇条の御誓文です。
これから始まる国づくりへの意気込みを示し、旧幕府側も含め、人々の心を一つにまとめるため。
広く会議をおこし、みんなの意見で政治を決めよう。
(議会政治の尊重)
身分の上下を問わず、みんなで心を一つにして国づくりに取り組もう。
(国民の団結)
役人から庶民まで、各自がその役目を果たせるようにしよう。
これまでの悪い習慣(攘夷など)は捨て、国際的な道理に基づこう。
(開国の方針)
知識を世界に求め、天皇中心の国を盛り立てていこう。
(海外の知識の導入)
この宣言によって、新政府は「古い幕府のやり方とは違う、開かれた近代国家を目指す」という姿勢をはっきりと示したのです。
江戸時代、土地(版)と人民(籍)は各大名(藩主)が支配していました。
これでは国がバラバラのままなので、政府はまずこの仕組みを変えようとしました。
全国の土地と人民を、藩主個人のものではなく、天皇(=国)のものであるという原則を確立するため。
薩摩・長州・土佐・肥前といった有力な藩が率先して、藩主が支配していた土地と人民を天皇に「お返し(奉還)」しました。
これを見て、全国の藩も次々にこれにならいました。
元の藩主は、そのまま知藩事(ちはんじ)という役職に任命され、引き続きその土地の政治を行いました。
つまり、名前は変わりましたが、実質的な支配の仕組みはあまり変わりませんでした。
版籍奉還は、まだ形式的な一歩でしたが、「国を一つにまとめる」という考え方を全国に示す上で非常に重要な意味を持ちました。
版籍奉還だけでは、まだ国がまとまったとは言えませんでした。
そこで政府は、より強力な改革を断行します。
藩という仕組みを完全になくし、政府が全国を直接支配する中央集権国家を完成させるため。
全国すべての藩を廃止し、代わりに県を設置しました。
知藩事は全員やめさせられ、東京に移り住むことを命じられました。
そして、各県には、政府が選んだ役人である県令(けんれい、後の県知事)を派遣し、治めさせました。
この改革によって、江戸時代から約260年続いた大名による地方支配が完全に終わりました。
税金を集めたり、軍隊を組織したりする権限がすべて政府に集中し、日本は初めて政治的に統一された近代国家となったのです。
この3つの改革は、以下のようにつながっています。
新しい国づくりの「基本方針」を示す。
中央集権化への「第一歩(準備段階)」。
形式的に土地と人民を天皇に返させる。
中央集権化の「完成」。
藩をなくし、政府が全国を直接支配する仕組みを作り上げる。
この一連の改革を通じて、明治政府は「富国強兵」(国を豊かにし、軍隊を強くする)を進めるための強力な土台を築き上げていったのです。