一言でいうと、「1950年代半ばから1970年代初めにかけて、日本の経済が、毎年平均して10%前後という、世界でも例のないほどの高い率で成長を続けたこと」です。
この経済成長によって、日本の産業構造や人々の暮らしは、戦前とは比べ物にならないほど大きく変化しました。
日本の奇跡的な成長には、いくつかの幸運な条件と、国民の努力が重なっていました。
朝鮮戦争の特需(1950年〜):
日本の独立直前に朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍が日本で大量の物資(トラック、軍服、食料など)を調達しました。
これを特需(特別需要)といいます。
この特需が、敗戦で落ち込んでいた日本の経済を復活させる大きなきっかけとなりました。
技術革新: アメリカなどから、ナイロンやプラスチックなどの新しい化学技術や、テレビ・冷蔵庫といった家電の製造技術など、最新の技術を積極的に導入しました。
資源を安く輸入: 当時の世界経済は安定しており、経済成長に不可欠な石油や鉄鉱石といった資源・エネルギーを、安く、安定的に輸入することができました。
国民の努力: 国民の貯蓄率が高く、銀行に集まったお金が企業の設備投資(工場や機械の購入)に使われました。
また、人々は「より豊かな生活」を目指して、一生懸命に働きました。
豊富な労働力: 団塊の世代(ベビーブームで生まれた人々)など、地方から都市へ集まった若くて質の高い労働力が、産業の発展を支えました。
政府の経済政策:
政府は、重化学工業(鉄鋼、石油化学、自動車、造船など)を中心に、産業の育成を強力に後押ししました。
特に、1960年に池田勇人(いけだ はやと)内閣が掲げた「所得倍増計画」は、「10年間で国民の所得を2倍にする」という目標を国民に示し、人々の生産意欲を大いに高めました。
この経済成長は、人々の暮らしを劇的に変えました。
所得の増加: 国民の給料が毎年上がり、生活水準が大きく向上しました。
三種の神器の普及:
1950年代後半、「豊かさの象徴」として、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3つの家電製品が「三種の神器」と呼ばれ、庶民の憧れの的となりました。
1960年代後半には、カラーテレビ・クーラー・自動車(Car)が「3C(新・三種の神器)」と呼ばれ、急速に家庭に普及していきました。
食生活の変化: パンや肉、乳製品を食べる食生活の洋風化が進みました。
インスタントラーメンやスーパーマーケットもこの頃に登場しました。
都市への人口集中: 仕事を求めて、多くの人々が地方の農村から、東京・大阪・名古屋といった三大都市圏へ移り住みました。
核家族化: これにより、おじいさん・おばあさんと同居する大家族から、夫婦と子どもだけの核家族が一般的になりました。
サラリーマンの増加: 産業構造が、農業中心から工業・サービス業中心へと変化し、会社に勤めるサラリーマンが大多数を占めるようになりました。
一方で、急激すぎる成長は、多くの問題も引き起こしました。
公害の発生:
工場の煙や排水が、大気汚染や水質汚濁を引き起こし、人々の健康を脅かす深刻な公害が全国で発生しました。
四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)は、その最も悲惨な例です。
都市問題・農村問題:
都市部では、急激な人口増加に住宅や交通機関の整備が追いつかず、過密の問題が起こりました。
逆に、若者がいなくなった地方の農村では、過疎の問題が深刻化しました。
この奇跡的な成長は、1973年の石油危機(オイルショック)によって、終わりを告げます。
石油の価格が急騰したことで、物価が激しく上昇し、日本の経済はそれまでの高い成長から、安定した低い成長(安定成長)の時代へと移っていくことになります。