御家人とは、鎌倉幕府の将軍と直接、主従関係を結んだ武士のことです。
彼らは、源頼朝が平氏を倒すために兵を挙げたときからの家来や、その後、頼朝に従うようになった全国の武士たちです。
御家人は、将軍から土地の支配を認められる代わりに、将軍のために働く義務を負っていました。
将軍と御家人の間には、以下のような強い結びつきがありました。
将軍は、御家人に対して「御恩」として主に土地に関する権利を与えました。
武士にとって土地は、生活の基盤であり、財産そのものでした。
本領安堵(ほんりょうあんど): 御家人が先祖代々受け継いできた土地の支配を「この土地はあなたのものですよ」と正式に認めてあげることです。
これにより、他の誰かに土地を奪われる心配がなくなりました。
新恩給与(しんおんきゅうよ): 戦いで手柄を立てた御家人に、新たな領地を与えることです。
簡単に言うと、将軍は「みんなの土地の支配を保証し、頑張ったら新しい土地もあげるよ!」と約束したわけです。
御恩を受けた御家人は、その見返りとして将軍に対して「奉公」で応えました。
戦時の軍役: 「いざ鎌倉」という言葉があるように、戦いが起きた際には、一族を率いて命がけで将軍のために戦いました。
平時の義務:
● 京都大番役(きょうとおおばんやく): 京都へ行き、朝廷や御所を警備する役目です。
● 鎌倉番役(かまくらばんやく): 鎌倉へ行き、幕府の施設を警備する役目です。
その他、幕府から命じられる様々な仕事や経済的な負担も含まれました。
つまり御家人は、「土地を守ってもらう代わりに、将軍のためにいつでも戦い、働きます!」と忠誠を誓ったのです。
このように、土地のやり取りを通じて結ばれる主君と家臣の主従関係のことを「封建制度」と呼びます。
鎌倉幕府は、この「御恩と奉公」という封建制度を基盤として、全国の武士をまとめ上げ、約150年間にわたる安定した武家政権を築き上げたのです。
しかし、元寇(モンゴル襲来)の際に、新たな土地を得ることができず、御家人に十分な「御恩」を与えられなくなったことから、この関係は次第に崩れていき、鎌倉幕府の滅亡へとつながっていきます。