まず、何が「不平等」だったのか、2つの大きな問題点をおさらいしましょう。
これらは、日米修好通商条約(1858年)などで決められてしまった、日本にとって非常に不利な内容でした。
内容: 外国人が日本で罪を犯しても、日本の法律で裁くことができませんでした。
その外国人の国の領事が、その国の法律で裁判を行いました。
何が問題か: 日本の警察が外国人を逮捕しても、裁判で軽い罰になったり、無罪になったりすることがあり、日本の主権が及ばない状態でした。
内容: 日本が、外国から入ってくる輸入品にかける税金(関税)の税率を、自由に決めることができませんでした。
何が問題か: 安い外国製品が大量に入ってきても、関税を高くして国内の産業を守ることができません。
これにより、日本の産業が大きな打撃を受ける可能性がありました。
この2つの大きな問題を解決し、欧米諸国と対等な関係になることが、明治政府にとっての最大の外交課題でした。
明治政府は、発足直後から条約改正の交渉を始めますが、道のりは非常に険しいものでした。
1871年、岩倉具視を全権大使とする大規模な使節団を欧米に派遣し、条約改正の交渉を試みました。
しかし、欧米諸国から「日本にはまだ近代的な法律も憲法もない。
そんな国と対等な条約は結べない」と、全く相手にされませんでした。
この失敗を通じて、政府は「まず国内の制度を整え、日本が近代国家であることを欧米に認めさせなければならない」と痛感します。
交渉を成功させるため、政府は2つの方向から努力を重ねました。
国内の整備: 大日本帝国憲法を発布し、議会を開設。
また、民法や刑法といった近代的な法律を整備し、日本が法治国家であることを示しました。
国力の向上: 「富国強兵」を進め、日清戦争や日露戦争に勝利することで、日本が軍事力・経済力を持つ強い国であることを世界にアピールしました。
これらの努力が実を結び、条約改正は二段階に分けて達成されました。
中心人物: 外務大臣 陸奥宗光(むつ むねみつ)
背景:
日本が日清戦争を始める直前のタイミングでした。
当時、世界最強国であったイギリスは、ロシアの南下を警戒しており、アジアにおける日本の力を利用したいと考えていました。
成果:
陸奥宗光は、この国際情勢を巧みに利用し、まずイギリスとの間で領事裁判権を撤廃することに成功しました。
イギリスが認めたことで、他の欧米諸国も次々にこれにならい、長年の悲願であった治外法権の撤廃が達成されました。
中心人物: 外務大臣 小村寿太郎(こむら じゅたろう)
背景:
日本が日露戦争に勝利し、その国力が世界に認められた後でした。
日本の国際的地位は飛躍的に高まっていました。
成果:
小村寿太郎は、強くなった日本の立場を背景に、まずアメリカとの交渉に成功。
これを機に、すべての国との間で条約が改正され、ついに関税自主権を完全に取り戻すことができました。
| 領事裁判権の撤廃 | 関税自主権の回復 | |
|---|---|---|
| 達成年 | 1894年 | 1911年 |
| 中心人物 | 陸奥宗光 | 小村寿太郎 |
| 大きな背景 | 日清戦争の直前 | 日露戦争の後 |
このように、不平等条約の改正は、幕末に国を開いてから約50年もの年月をかけた、明治日本の国家的な大事業でした。
これは、外交官たちの粘り強い交渉はもちろんのこと、憲法制定や戦争の勝利といった、日本の近代化への努力全体が実を結んだ結果だったのです。