豊臣秀吉の死後、次の天下を狙う大名たちの間で争いが起こります。
その中で最も力を持っていたのが徳川家康でした。
全国の大名を二つに分けた大きな戦いです。
徳川家康が率いる東軍が、豊臣方の石田三成を中心とする西軍に勝利しました。
この勝利によって、家康は全国支配の実権を握ります。
家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸(現在の東京)に幕府を開きました。
これが江戸幕府の始まりであり、ここから約260年以上続く江戸時代の幕を開けます。
家康は、まだ勢力を残していた豊臣氏を「大坂冬の陣」と「大坂夏のの陣」の2度の戦いで滅ぼし、徳川家による支配を確実なものにしました。
江戸幕府は、全国の大名が幕府に逆らわないように、様々な厳しいルールを定めました。
その代表的なものが「武家諸法度」と「参勤交代」です。
武家諸法度は、大名が守るべきことを定めた法律です。
1615年に徳川家康の命で定められ、その後、将軍が変わるたびに改訂されました。
主な内容
● 学問と武芸に励むこと
● お城の修理は幕府の許可が必要。
● 新しい城を建てるのは禁止
● 大名同士の結婚は幕府の許可が必要
● 幕府に反逆する者などをかくまってはいけない
これらのルールを破った大名は、領地を没収(改易)されたり、減らされたりする厳しい罰を受けました。
3代将軍・徳川家光の時に武家諸法度に追加され、制度化されました。
● 大名は1年おきに江戸と自分の領地を行き来しなければならない。
● 大名の妻子は、人質として江戸の屋敷に住まわせる。
● 反乱を防ぐため
江戸と領地の往復には、大名行列のための莫大な費用がかかりました。
この経済的な負担によって、大名が幕府に逆らうための力(お金や兵力)を蓄えるのを防ぎました。
また、妻子を江戸に住まわせることで、大名が簡単には反乱を起こせないようにしました。
● 幕府と大名の主従関係を示すため
定期的に江戸へ来て将軍にあいさつをすることで、誰が主人であるか(将軍)を常に意識させる狙いがありました。
これらの巧みな仕組みによって、江戸幕府は全国の大名をしっかりと統制し、約260年もの長い間、平和な世の中を築くことができたのです。