平安時代の中頃(10世紀頃)になると、律令制度の仕組みが崩れ始め、社会のあちこちで治安が悪化していきました。
律令制度の崩壊:
戸籍の管理がずさんになり、口分田を捨てて逃げ出す農民が増え、国の軍隊(軍団)を維持することが難しくなりました。
地方の乱れ:
国の力が地方の隅々まで行き届かなくなり、地方では、税を納めない豪族や、土地をめぐる争いが頻繁に起こるようになりました。
また、盗賊や海賊なども現れ、地方の治安は非常に悪化しました。
→ 自分の土地は自分で守る必要が出てきた!
都でも、貴族同士の権力争いや、寺社の僧兵(そうへい)たちが強引な要求をする「強訴(ごうそ)」などが起こり、治安が悪化していました。
天皇や貴族たちも、自分たちの屋敷や財産を守るための警備員が必要になりました。
→ 貴族たちも、自分たちを守る用心棒が必要になった!
公的な警察や軍隊の力が弱まってしまったため、地方の豪族も、都の貴族も、「自分の身や財産は、自分の力で守らなければならない」と考えるようになったのです。
これが、武力を持つ専門家である「武士」が生まれる、根本的な原因でした。
武士は、主に地方の有力な農民や、都から地方に派遣された役人(国司)の子孫などから生まれてきました。
彼らは、自分の土地(荘園など)や家族を守るために、日常的に馬に乗る訓練をしたり、弓矢で武装したりするようになります。
彼らが、初期の「武士」の姿です。
やがて、一人の有力な武士(棟梁:とうりょう)が、周りの小規模な武士たちを、主従関係(主君と家来)でまとめあげ、より大きな武力の集団である「武士団」を形成するようになります。
主君は家来の土地を守ってやり(御恩:ごおん)、家来は主君のために命がけで戦う(奉公:ほうこう)という、後の武家社会の基本となる関係が、この頃から芽生え始めました。
こうして生まれた武士団の中から、特に有力な2つの家系が登場します。
どちらも、もとは天皇の子孫(皇族)でした。
ルーツ: 清和天皇の子孫。
拠点: 主に東国(関東地方)に勢力を広げました。
代表的な人物: 源頼信(よりのぶ)、義家(よしいえ)、そして後の鎌倉幕府を開く源頼朝(よりとも)など。
ルーツ: 桓武天皇の子孫。
拠点: 主に西国(伊勢や瀬戸内海沿岸)に勢力を広げました。
代表的な人物: 平将門(まさかど)、平忠盛(ただもり)、そして後の武士の頂点に立つ平清盛(きよもり)など。
初めのうち、武士は貴族に雇われ、都の警備をしたり、地方の反乱を鎮圧したりする、いわば「貴族の番犬」のような存在でした。
平将門の乱(関東): 桓武平氏の平将門が、関東地方で反乱を起こし、「新皇」と名乗りました。
藤原純友の乱(瀬戸内): 藤原純友が、瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こしました。
これらの大きな反乱を最終的に鎮圧したのも、朝廷の軍ではなく、地方の武士たちの力でした。
これにより、朝廷は「武士の力なくしては、国の平和は保てない」ということを痛感します。
東北地方で起きた大きな反乱を、源義家らが鎮圧しました。
これにより、源氏の東国における名声は絶対的なものとなりました。
これらの反乱を鎮める活躍を通じて、武士たちは、単なる用心棒ではなく、国の政治を左右するほどの実力を持っていることを、世の中に示していきました。
やがて、朝廷内の権力争い(保元の乱・平治の乱)に、源氏と平氏が武力で介入するようになると、彼らはついに政治の中心舞台へと躍り出て、貴族に代わる新しい時代の主役となっていくのです。
平安時代中期、律令制が崩れて社会の治安が悪化したため、自分の土地は自分で守る必要が出てきた。
地方の有力者たちが武装し始め、これが武士の始まりとなった。
やがて武士たちは「武士団」を形成し、その中から源氏と平氏という2大勢力が成長した。
武士たちは、反乱を鎮める活躍などを通じて実力をつけ、次第に国の政治に欠かせない存在となっていった。