一言でいうと、「明治時代の初めに、ヨーロッパやアメリカの文化や制度が急速に入ってきて、日本の社会や人々の生活が大きく変化したこと」です。
明治政府は「富国強兵」をスローガンに、欧米に負けない近代国家を目指していました。
そのため、進んだ西洋の技術や知識だけでなく、生活スタイルや考え方まで積極的に取り入れようとしたのです。
「文明開化」という言葉には、「これまでの封建的な日本から、文明的で開けた国に生まれ変わるのだ」という、当時の人々の期待が込められていました。
文明開化は、まず政府のおひざもとである東京などの都市部から始まりました。
建物: 東京の銀座などには、レンガ造りの洋風建築が立ち並び始めました(銀座煉瓦街)。
明かり: 夜になると、道ばたにガス灯がともるようになりました。
乗り物: 人力車が登場し、1872年には新橋〜横浜間に鉄道が開通しました。
①服装・髪型
役人や軍人、学生などが洋服を着るようになりました。
男性は、武士の象徴だったちょんまげを切り、短い髪型にするようになりました。これを「ざんぎり頭」と呼びます。
当時の流行歌に「ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」というものがあり、新しい時代の象徴とされました。
②食事
仏教の影響で千年以上もあまり食べられてこなかった牛肉を食べる習慣が広まり、「牛鍋(すき焼きの原型)」が大流行しました。
そのほか、牛乳、パン、あんパン、西洋料理店などが登場しました。
③時間の感覚
これまで使っていた月の満ち欠けを基準にした暦(太陰暦)を改め、現在の私たちが使っている太陽暦が採用されました(1873年)。
1週間を7日とし、日曜日を休日とする制度もこの頃に広まりました。
変わったのは、目に見えるモノだけではありません。
人々の考え方にも大きな影響を与えました。
明治を代表する思想家である福沢諭吉は、『学問のすゝめ』という本を書き、大ベストセラーになりました。
その冒頭にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という一節は非常に有名です。
この本の中で福沢諭吉は、生まれながらの身分で人の価値が決まるのではなく、学問をすることで人は平等になり、自立(独立)できるのだと説き、国民に大きな影響を与えました。
このほかにも、自由や権利、平等、民主主義といった欧米の新しい思想が新聞や雑誌を通じて紹介され、後の自由民権運動へとつながっていきます。
このように、文明開化は日本の近代化の象徴的な出来事でした。
ただし、こうした変化は主に都市部のもので、地方の農村ではまだ多くの人々が江戸時代と変わらない生活を続けていました。
文明開化は、日本の伝統的な文化と新しい西洋文化が出会った、エネルギーにあふれる時代だったと言えるでしょう。