一言でいうと、「幕府」と「藩」が、全国の土地と人々を支配する仕組みのことです。
幕府:将軍(徳川家)が直接おさめる政府のことです。
藩:大名が自分の領地と家臣たちをまとめた組織のことです。
つまり、江戸幕府を頂点として、その下に各大名がそれぞれの領地(藩)を治めるという、二段階の支配構造になっていました。
この体制は、3代将軍・徳川家光のころまでに確立されました。
直轄地(天領):幕府が直接支配する土地で、全国の約4分の1を占めていました。
江戸や大坂、京都といった重要な都市や、佐渡金山などの鉱山も幕府の直轄地でした。
これらが幕府の大きな財源となっていました。
大名の統制:幕府は「武家諸法度」や「参勤交代」といった決まりで、全国の大名を厳しく統制していました。
各大名は、幕府から与えられた領地(藩)の政治を任されていました。
藩の中では、大名が独自の法律をつくり、家臣である武士たちとともに農民から年貢(税)を集めていました。
このように、全国レベルの大きな政治は幕府が行い、それぞれの地方の政治は藩が行うという役割分担ができていたのです。
幕府は、大名が反乱を起こさないように、徳川家との関係の深さによって大名を3種類に分け、巧みに配置しました。
| 大名の種類 | 説明 | 主な役割・配置 |
|---|---|---|
| 親藩(しんぱん)大名 | 徳川家の一族の大名。 特に、尾張・紀伊・水戸の「御三家」は、将軍の跡継ぎを出す重要な役割を担っていました。 |
江戸に近い、重要な場所に配置されました。 |
| 譜代(ふだい)大名 | 関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名。 | 信頼が厚く、幕府の政治を行う老中などの重要な役職に就きました。 親藩と同様に、江戸の周辺や交通の要所に配置されました。 |
| 外様(とざま)大名 | 関ヶ原の戦いの後に徳川家に仕えるようになった大名。 もとは敵だった大名も含まれます。 |
石高(領地の広さ)が大きい大名が多かったですが、幕府の政治には参加させてもらえませんでした。 幕府から警戒され、江戸から遠い場所に配置されることが多かったです。 |
このように、信頼できる親藩や譜代大名を江戸の周りや重要な場所に配置し、力のある外様大名を江戸から遠ざけることで、幕府は全国の支配を安定させたのです。
この「幕藩体制」という巧みな仕組みによって、江戸幕府は約260年もの長い間、平和な世の中を維持することができました。