一言でいうと、「実際の価値(実体経済)とはかけ離れた、異常なほどに株価や土地の値段が上がり続けた好景気」のことです。
「バブル」とは「泡」のこと。
実体がないまま、どんどん膨らんでいくシャボン玉の泡のように、いつかはじけてしまう危険な好景気だったため、こう呼ばれています。
きっかけは、1985年の「プラザ合意」という国際的な取り決めでした。
当時、アメリカは日本との貿易で大きな赤字に苦しんでいました。
そこで、アメリカ、日本、西ドイツ、イギリス、フランスの5か国がニューヨークのプラザホテルに集まり、「ドル安・円高」になるように協力することを決めました。
この合意の結果、急激な円高が進みました。
(例:1ドル=240円 → 120円)
円高になると、日本の製品が海外で高くなってしまうため、輸出が伸び悩み、日本は一時的な不景気(円高不況)に陥りました。
この不景気を乗り切るため、政府は公共事業を増やし、日本銀行は金利を大幅に引き下げました。
金利が低いと、企業や個人は銀行からお金を借りやすくなります。
また、銀行にお金を預けていても利息がほとんどつかないため、人々はより儲かりそうな株式や土地に投資しようと考えました。
この「世の中にお金がじゃぶじゃぶに余っている状態(過剰流動性)」が、バブル経済の直接的な原因となったのです。
世の中にお金があふれた結果、社会は異常な熱気に包まれました。
「東京の土地を全部売れば、アメリカ全土が買える」と言われるほど、土地の値段が信じられないほどに上がりました。
人々は「土地の値段は絶対に下がることはない(土地神話)」と信じ込み、借金をしてまで土地を買い漁りました。
日経平均株価は史上最高値を記録し、多くの人が株の売買で莫大な利益を得ました。
企業は、土地や株を担保に銀行から多額の融資を受け、ゴルフ場やリゾート施設などを次々と建設しました。
国民の給料やボーナスも上がり、高級車を買ったり、高価なレストランで食事をしたり、海外旅行に出かけたりと、非常に派手な消費がもてはやされました。
しかし、実体のない泡は、いつまでも膨らみ続けることはありません。
あまりに行き過ぎた土地や株の価格高騰を危険視した日本銀行が、1989年から金利の引き上げを開始しました。
また、大蔵省(現在の財務省)も、銀行に対して土地関連の融資を厳しく規制する「総量規制」を行いました。
これらの引き締め政策をきっかけに、1990年の初めから株価が、続いて土地の値段も大暴落を始めました。
「泡」が一気にはじけたのです。
これをバブルの崩壊といいます。
バブルの崩壊は、日本経済に深刻で長期的なダメージを与えました。
土地や株の価値が暴落したため、企業や個人は、銀行から借りた莫大な借金だけが手元に残りました。
銀行側から見ると、貸したお金が返ってこない「不良債権」が大量に発生し、多くの金融機関が倒産しました。
多くの企業が倒産したり、経営が悪化したりしました。
それまで日本では当たり前だった「終身雇用」や「年功序列」といった雇用慣行が崩れ、社員を解雇する「リストラ」や、非正規雇用(パート・アルバイト)が増加しました。
バブル崩壊後、日本経済は長く深刻な不景気に陥りました。
この長い停滞期は、初め「失われた10年」と呼ばれましたが、その後も回復が遅れたことから「失われた20年」、さらには「失われた30年」とも言われています。
バブル経済とその崩壊は、日本の社会や人々の価値観を大きく変え、その後の日本経済が抱える多くの課題の出発点となった出来事なのです。