第二次世界大戦は、アジア・アフリカの人々にとって非常に大きな転機となりました。
第二次世界大戦で、イギリスやフランスといった、アジア・アフリカに多くの植民地を持っていた国々自身が、大きな被害を受け、国力が著しく低下しました。
もはや、遠く離れた広大な植民地を、これまでのように力で押さえつけておくことが難しくなりました。
大戦中、日本軍は「大東亜共栄圏」を掲げ、東南アジアから欧米の勢力を一時的に追い出しました。
このことは、アジアの人々にとって「ヨーロッパの支配は絶対ではない」ということを見せつけ、独立への希望と自信を与える結果となりました。
戦争中から、アメリカのルーズベルト大統領らが「すべての民族は、自らの政治的なあり方を自由に決める権利を持つべきだ(民族自決)」と主張していました。
この考え方は、戦後発足した国際連合の理念にも引き継がれ、植民地支配を続けることは国際的にも認められにくくなっていきました。
アメリカとソ連は、それぞれの陣営に多くの国を引き入れるため、アジア・アフリカ諸国の独立を支持する姿勢を見せました。
これらの要因が重なり合い、アジア・アフリカ全土で独立を求める運動が一気に高まっていったのです。
アジアでは、大戦直後から独立の動きが急速に進みました。
戦前からガンディーの指導のもと、「非暴力・不服従」という平和的な抵抗運動を粘り強く続けていました。
1947年、ついにイギリスから独立を果たします。
しかし、宗教的な対立から、ヒンドゥー教徒が多いインドと、イスラム教徒が多いパキスタンに分裂しての独立となり、その後の紛争の原因ともなりました。
日本の降伏後、多くの国が再植民地化しようとする旧宗主国(支配していた国)と、独立戦争を戦いました。
▪ ベトナム:フランスからの独立を目指し、長い戦争(インドシナ戦争、ベトナム戦争)を戦いました。
▪ インドネシア:オランダと独立戦争を戦いました。
フィリピン(アメリカから)、ビルマ(現在のミャンマー、イギリスから)、マレーシア(イギリスから)なども次々と独立しました。
戦後、国民党(蔣介石)と共産党(毛沢東)との間で内戦が再発しました。
この内戦に勝利した共産党が、1949年に中華人民共和国を建国しました。
日本の支配から解放された後、北緯38度線を境に、北をソ連、南をアメリカに分割占領されました。
この分割が固定化し、北に朝鮮民主主義人民共和国、南に大韓民国が成立。
後の朝鮮戦争へとつながっていきました。
アフリカでは、アジアより少し遅れて、1950年代後半から1960年代にかけて、独立の動きがピークを迎えます。
この1年間だけで、フランスの植民地だった国々を中心に、17もの国が一斉に独立を果たしました。
この年は、アフリカの独立を象徴する「アフリカの年」と呼ばれています。
しかし、アフリカの国境線は、もともと現地の民族の分布などを全く無視し、ヨーロッパの国々が地図の上で勝手に引いたものでした。
そのため、独立後、一つの国の中に複数の対立する民族が含まれてしまい、内戦や紛争が絶えませんでした。
また、経済的にも旧宗主国に依存したままで、貧困から抜け出せない国も多く、独立後の国づくりは非常に困難な道を歩むことになりました。
独立したアジア・アフリカの国々は、アメリカ中心の西側陣営にも、ソ連中心の東側陣営にも属さず、独自の立場をとろうとしました。
インドネシアのバンドンで、インドのネルー首相、中国の周恩来首相らが中心となり、29か国の首脳が集まりました。
「平和十原則」を発表し、反植民地主義と、米ソどちらの陣営にも与しない非同盟主義を掲げました。
これらの新しく独立した国々は、西側(第一世界)でも東側(第二世界)でもない「第三世界」と呼ばれ、国連などで大きな発言力を持つようになっていきました。